ミニコラム


小さな肉屋におけるジジイとババアの方向性の違いについて



今、ある現場で演出補佐を担当している。

稽古日、前日に夜更かししたのもあり、目が覚めると少し寝過ごしたような気がして慌ただしく準備をし、一旦朝昼ごはんは考えないことにして家を飛び出したはいいものの、思ったよりも時間に余裕があり、池袋の稽古場付近を散策することにした 。

道すがらに小さな肉屋があり、店先には黄金色の揚げ物が並んでいる。

私は108円チキンカツを購入し

2円の御釣りをしまっていると

ヨボヨボなジジイが「ソース、かけるよね?」と聞いてきてくれた。

「お願いします」と返し、チキンカツを受け取り頬張った。

その美味しさは月並みな表現で恐縮だがあえて言葉を尽くさず「サクサクして美味しかった」と言わせてもらう。

別の日

またそこに立ち寄ると

今度はヨボヨボのババアが接客してくれた。

好きなものは何度でも注文してしまうタチなのでチキンカツを頼み

2円を仕舞おうとすると

当然聞こえてくるのは「ソースかける?」

の声である、ジジイ、ババアの差はあれど

頭にあることといえばソースをかけるか否かのことだけなのだ。

私は慣れたような口調で「お願いします」と言った。

しかし、次の瞬間、チキンカツを受けとった私は驚愕した。

ババアから渡されたチキンカツにほんの少ししかソースがかかっていなかったのだ。

「少ねえ!!!!」

嬉しいことにチキンカツはとても大きく上からかぶりついたのではとてもひとかじりでババアがかけたソースまではたどり着けないのである。

考えた末、一度チキンカツを紙袋から取り出して、横から、つまりチキンカツの円周からババアのかけたソースまで最短距離を調査してそこから食すことを決めた。

結果からまず先に言わせてもらうならば

「サクサクして美味しかった」

ババアのソースのかけ方からは確かな肉屋の「ジジイとババアの肉」へのプライドを感じた。

しかしである

ここで1つ問題がある…私は濃い味が好きだということだ。

ババア派かジジイ派かと聞かれれば私はジジイの肩を持つだろう。

ババアのソースの掛け方が仮に憲法だったとしても僕の中に存在する3分の2以上のジジイを支持する両議員とそれを承認する国民たちによってたちまちババアのソースの掛け方を撤廃してジジイのソースの掛け方に改正してしまうだろう。

実際の憲法改正の難しさを下敷きに、私なりに「濃い味が好きである」ということを述べてみたが伝わっただろうか。

また別の日

緊張しながら肉屋のまえに立つ

先に動いたのは

……

「ババアだ!」

ババアだった

先に動いたババアを確認するとジジイは動きを止めた。

決めていた。

悪あがきは消してしないと

多摩地区で育ったとはいえ私も江戸っ子の端くれである。

だから、粋ではないことはしない。

ババアに「もう少しソースをかけてください」などと野暮なことを言う私ではない。

ババアにはババアのやり方があるのだ。

こちらは掟に従うだけである、その肉屋では「ジジイ多めのババア少なめ」なのである。

ババアが多くソースをかけたらそれはもうババアではない誰か違う人になってしまう。

そう、それは、むしろジジイである。

ジジイは小さい肉屋には一人で十分だ

小さい肉屋にはジジイ1のババア1がちょうどいい

小さい肉屋ってそういうものだ。

さて、その肉屋にはモツ煮もあるのだか、歩き喰いするわけにも稽古場に持っていくわけにもいかず、当然みんなでぞろぞろ帰る時にも寄れるはずもなく、なかなか手を出せずにいる。



並木雅浩



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